埋文データ

第2次調査
(昭和48(1973)年3月20日〜23日、4月6日〜26日)

 小学校のプレハブ校舎増改築の計画に伴い、敷地の東側に残されていた「マウンド状遺構」(概報の用語。「マウンド5」=現在の体育館部分)の事前調査が慶応大学により実施された。
 まずマウンド状遺構の測量調査が実施され、その後これを半分に断ち割った。マウンド状遺構は直径約30メートル、高低差が2.5メートルほどの円形で、断ち割った土層断面を見ると、表土下20〜30センチメートルにある厚さ30センチメートルほどの暗褐色土層の下に「ローム質黄褐色土」(概報の用語)という関東ロームに類似した土が存在し、マウンド中央では1.3メートルほどの厚さがあり、周辺部にいくほど薄くなる凸レンズ状に堆積していた。さらにその下には褐色土層がほぼ水平に堆積していて、その上面で炉跡や後期の大きな土器片が見つかったため、褐色土層の上面が後期の生活面だったと考えられた。
 マウンド状遺構の下からは後期の住居跡3軒、土器塚(どきづか)(土器片の集中部分)が発見された。住居跡のうち1軒の床面から、シノ竹を編んで作ったスノコ状の敷物が炭化した状態で見つかり、5本の柱穴にはクリの木と考えられる炭化した柱が残っていた。また「異形台付土器(いけいだいつきどき)」と命名された特殊な土器が完全な形で2個体見つかった。
 マウンド状遺構と、その中から発見された遺構の関係を見ると、ローム質黄褐色土がマウンド状遺構を形成する主要な土層で、それが後期の住居跡を覆っていることから、マウンド状遺構の構築時期は後・晩期あるいはそれ以降であることが判明した。その後、第2次調査の追加調査が昭和50年に実施されたが、詳細は不明な部分が多い。